10/15 今日は新月&金環日蝕
そういえば、蝕の時期が昔から好きだなぁと
日課となっているジャーナリングをしていて気づいた。
好きな理由はおそらく、地球に割とインパクトのあるエネルギーが注がれるから。
それによって、これまでの単調なリズムから転調してリズミカルになるみたいな感じで変調が起こるのがワクワクさせるし、
リセットの機能もあるから、長い間捨てられなかった粗大ゴミが回収されてすっきり!みたいなかんじもある。
で、今回は
意図せずとも過去を見せてくれる機会に多く恵まれていたことに気づいた。
しかも数年単位。
これもやはり、これまでの自分とはもう明らかに変わったからこそ見せてもらえている気がする。
今回浮かび上がってきたのは過去8年あたり…
2015年だから31,2歳からいまにかけて。
きっと一番苦しかったときだと思う。
何にをするにしても自信がなかった。
だけど、そういった弱みを本当に誰にも見せることができなかった。
いま思えば人間意識で生きる限界を迎えていたはずなのにスピリチュアルにも一番抵抗していたときかもしれない。
抵抗が強いのに、憧れも同時にあって
常に相反するエネルギーに苛まれていた。
だから現実は変わらなかった。
むしろ苦しくなる一方。
誰も本質的なことを教えてくれなかった。
(その考えがもう他責でしかない)
だけど、そもそも自分が閉ざしていたから気づけなかった。
みっともない自分とか
かっこわるい自分とか
そういう自分を見たくなかったから
必死に役割や能力を上げようとしていた
立場を確保しておかなきゃって
かなり取り繕っていた。
いろんなものを隠してた。
だけど、結局それは3年ももたなかった。
なんなら3年もよくその状態で耐えてこれたなぁという感じだ。
いまならあのときの自分がいかに無駄な足掻きをしていたかが分かるし
誰よりも自分を認めていなかったのは自分であることも分かる。
とにかく不安と恐れに支配されていた。
だけど、どこかで慢心していたし
完全に寝ぼけていた時期であることが明確だ。
願うばかりで、現状を認めることをしていなかったし
本当に頭でっかちで他人のせいにしていた。
自分の人生を生きる覚悟とかもなかったし
きっとそんなことを考えたこともなかった。
小手先だけで、ずーっとやってるつもりだった。
自分の本音を見ることもせず、当然そこに気づきもせず。
で、8年経ったいまどうか。
いまは、無駄に力むこととか、難しいことを無理に学んで知った気になって、やってる気になることもない。
これをしていたら格好がつくとか
そういう外側目線で自分の言動を決めることがほぼゼロ。
もっと心や魂に素直に生きれている。
すごくシンプル。
そして、前よりしっかりしてない。笑
面倒見もよくないし、気を配るってこともしなくなった。
無意識にやっていることとか、したくてすること以外は。
めちゃくちゃいまは楽だし、何かに怯えるってこともなくなっている。
できなかったらどうしようって考えることがほとんどなく、
したいかしたくないか。ってだけ。
人間的思考で判断することもほとんどなくなっている。
今まで思っていた当たり前が自分に通用しなくなっている感じ。
というより、採用しなくなってる。
あれだけ人の評価が重要で、人から求められることでなければ意味がない。価値がないと思っていたのに
そんなわたしが、わたし至上主義になっているなんて…。
そして、それをエゴの塊で穢らわしいとすら思っていた。
忌み嫌っていた生き方
だと思っていた。
だけど、それは自分が奥底で望んでいた生き方だった。
自分至上主義で生きたところで
誰かと対立するわけでもなく
何か大きな迷惑をかけるだとか
人格否定されるとか
そういったことは一切ない。
むしろ、ものすごく多方面で関係が良好になっている。
もしわたしのことを批判している人がいたとしても、
その意見を採用することはきっとない。
揺さぶりはあるだろうけど、ただそれだけだ。
いまのわたしは
8年前のわたしが求めていた世界を生きている
ようやくここまでこれた。
いまもスタートラインでしかなく、
また新しい世界の始まりを迎えようとしている。
わたしだから生み出せるもので
世界に影響していく生き方
持って生まれ、経験により育まれた感性で
ソースである宇宙意識と同調したわたしで
軽やかにクリエイトし続ける
そこに共鳴する人たちと
新たなクリエションを楽しみ、育み、
さらなる歓びと豊かさを繁栄させていく。
いまのところ、それがわたしにとって
スピリチュアルな生き方なんだと感じてる。
もっともっとここから表現が変わっていくんだろうなぁ。
これからの出会いも変化もすべてが楽しみ!
こちらでオーダーは受け付けております。
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