先日の満月が星座ぐるりと一回りしたタイミング
ということで、過去半年を振り返ってみた。
特にこの春頃からは、
かなり強めに自己調整にシフトしていて
振り返りを行うのには絶好の機会だった。
振り返ってみると、
この半年はこれまでの何倍もの厚みを感じ
行きつ戻りつしながらも、着実に変化していると感じられた。
まだまだ過程であるが、その変化とは、
他者に伝わるような目立った事柄でなく
内側の変革といえるような、
自分だけが感じられる変化で
着実にこれまでの自分とは違っている。
例えばそれはどんなことか。
まず、日々の何気ない動きが
そのまんまの自分になっていると感じられた。
目覚めから、夜寝入る時まで。
この気づきによって、今までどれだけ
周りの動きに合わせることを意識してきたかも分かった。
歩くペースや食べるスピードすら
誰かに合わせることが身についてしまっていた。
ごく自然に。
そして、そこから気づいたのは
誰かを基準に動かなくなったため、
必然的に焦りもなくなっていたことだった。
みな一度は「早くしなさい」
と小さなころに言わたのではないだろうか?
誰かのペースに合わせることを強要され、合わせることが素晴らしいとすら思っていた。
そして、スピードや効率が最重要と勘違いし、どんどん無駄(のようなもの)が省かれる。
それに伴い、心は常に焦り続けていた。
しかも、無意識に。
心のベースに焦りがあったのだ。
するとどうだろうか。
じっくり吟味するとか
そういった心のゆとりは生まれにくく、
物事の決断、対峙すること、人間関係すらも
ほとんどがインスタント的になっていたかもしれない。
つまり「即席」な生き方。
丁寧さ=ゆっくり ではないが、
即席は手軽さが最優先。
そこに心があり、愛があってはじめて
育まれるなにかがあって、次へ繋がっていく。
イマジネーションをはじめとする
感性が育まれるかどうかも、ここが大切ではないかと思う。
自分自身をインスタントに扱っていないか
生き方すべてが手軽で、便利で、効率ばかりを優先していないか。
その求めている手軽さはなんの為?
なにを得たくて、なにを感じたくて
その手軽さを優先しているのだろうか。
心を育む生き方が、いまこの瞬間にあるか。
少し自分に問いかけてみてもいいのかもしれない。
やはりわたしにとって
「感性」を研ぎ澄ませていくことは
「生」を謳歌することに繋がり
味わい深い生き方になるのだと感じる。
振り返る機会があってよかった。
もって生まれた感性を研ぎ澄まし、
あなたがあなたとして生きるお手伝いをさせていただいています。
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