「いただきます」と「ごちそうさま」の間にあったもの

みつえのひとりごと

超個人的な話なんですが…

ここ1年くらい
1日1食だったり、2食だったり

お腹が空いたら食べるみたいな生活をしていて

かなり規則性のない食事の仕方をしてました。
(これに関しては色々な説があるので理屈は置いておき…)

特にそれでストレスを感じていたこともなく
気ままに過ごしていたんですが

先日、妙な体調の崩し方をしまして

「エネルギーを回す為のエネルギーが足りてない」

ってことが分かり、
すごく納得したんです。

で、改めて「食事をしよう」って決めまして

なんか変な感じの表現ですが、
これまでは食事というより、間に合わせ感があったんです。

食べることが好きだったはずなのに
それがいつのまにか億劫になっていて
そこに時間を割くことを適当にしていました。

厳密には、

自分のために用意する食事に
億劫さを感じていた。

だから、
UBERしたり
お惣菜で済ませたり

作っても
ご飯を炊いて、おかずをちょろっと
(ほぼ、たまごでしたが)

汁物はたまに

みたいな。

それでも美味しかったし
その時は満足していたものの

認識していないところで
滞りが起こっていたわけです。

それが積もり積もって
体調の異変として知らせてくれました。

 

で、今日久しぶりに

マットと箸置きを出して

前に作ったおかずを
小鉢にちょっとずつ盛って

何も特別なものはないけど
自分のためにって用意することができました。

手を合わせて
いただきました。

ひと口ごとに箸を置き、もぐもぐ。

そうやって目の前の食事を
ただ味わっていたら

勝手にポロポロ泣けてきて

すっごい幸せを感じたんです
すっごく満たされた気持ちを感じて

状況は違うのですが
まさにこんなかんじで
(あ、ここまで号泣はしてませんが…


(ハクかっこいい…)

それと同時に
自分にごめんねってなりました。

側からみたら
自分で作ったご飯食べて
泣いてるヤバい奴なんでしょうけど

まぁ自宅なんでね
そんなの関係なく

ただただじっくり味わっていました。

 

なんだか…

しばらくこの感覚を忘れていたなぁって

日常に大切なエッセンスがあるって
分かってたはずなのに

あまりにも当たり前になっていたんだなぁって

見えなくなっていたなぁって。

丁寧に自分とお付き合いしている
と思っていたけど、

やってたつもりで、

知らぬ間に先へ先へと
気持ちが急いて

おざなりになっていたなぁって。

やっぱりわたしにとって

いただきます。と
手を合わせて

目の前の食事を
丁寧に味わうことで

教わること
得られることが

ものすごいたくさんあるなぁと
実感したひとコマでした。

ごちそうさまでした。

 

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