「気づけばなくなってる?」
「どうやって無価値感から抜け出せたの?」
「色々あると思うけど、これ!っていうきっかけはあった?」
先日、親友とふとした会話の中で
無価値観があるかどうかの話になり、
「そういえばなくなってる」と
話したことからこの質問を投げかけられた。
すぐに明確な答えが出なかったので、
色々あった中の一つを答えたものの、
なんだか自分の中ではポイントが
外れているような..
そしたら案の定、
さらに「明確なキッカケ」があったことに気付いた!
(こうやって思考や感情の変化を
掘り起こすキッカケがあることがありがたい。)
これが少しでも同じように感じている方の
お役に立てれば幸いです。
幼い頃からあった刷り込み
おそらくわたしには物心つく前から
「役に立たない自分はこの世界に存在しない方がいい」
っていう刷り込みがどこかにあって、
それがずっとずっと付いて回ってた。
だから小さい頃は、
人と接するのとか
何かを一緒にやるとか
単純に遊ぶのですらとても苦手だった。
生まれてから青年期までの
星でもそれは出ているらしいんだけど(個人的な解釈)、
まともな人付き合いなんかできなかった。
どうやって交流したらいいか全く分からなくて
ただ遊びたいから遊ぶとか
好きだから誘うとかできなかった。
何か利益をもたらす存在でないと
輪に居てはいけない。
という感覚が常に付いて回ってた。
要は大義名分がないと、
遊びに加われないって思ってたらしい。
その輪に入るに値する
何かを持っていないと!って。
目新しいおもちゃなんかを持っているときは、
それこそ自信をもって、「遊んで!」と言えた。
ローラーブレードとか、一輪車とか、
周りが持っていないものを持っていたとき、
強くなれた(気がした)。
まぁそれも、無意識下にあった
「無価値への恐れ」を抱いている
と気づいてからなので、
この刷り込みに気づいたのもごく最近のはなし。
何をやっても剥がせないレッテル
年齢とともに様々な経験をし、
少しずつ大人になって
それなりに経験も積んで、
大小様々な達成や成就、
挫折や絶望を味わい、
それでも前に進んだ。
成長や変化は望んでたから。
「変わりたい」という気持ちは
それこそものすごく強かったと思う。
でも、、、
表彰されたり、生徒会長やらせてもらったり、
営業成績トップを4ヶ月連続取ったりしても、
全然自信にならなかった。
一向に自分が
この世界にいても良い人物に思えなかった。
何をやっても不足感が付いて回ってた。
そりゃそうだ。
なにせ30年以上
「無価値に恐れを抱いている」
という根本的なことに気付いていなかったから。
ずっと
唯一無二の存在にならなくてはいけない。
突出した特別な存在でいなければ。
と、謎の強迫観念があった。
こびりついた観念が崩れた瞬間
では、
そこまで強い無価値への恐怖が
どうして気にならなくなったのか?
どうしてそうなれたのか?
どんなきっかけがあったのか?
それは、、、
死んでしまいたくなるくらい
人に迷惑かけたから
これは、迷惑をかけたから
自分の中にあった無価値への
恐怖がなくなったのではなく。
自分の中で、
これは絶対にやってはいけないことだ!
こんなことやるなんて最低な人間だ!
こんなことやったらかっこ悪い!
と心底思っていたことを
自らやってしまったから。
自分の中にある嫌悪に近い恐怖的観念。
それを自ら犯した。
つまり、タブーを自ら犯したのだ。
それによって、こびりついていた観念が
ガラガラと音をたてて崩れていった。
「わたしは無力」と降参した
崩れたときにやっと気づいた。
わたしにとっての恐怖的観念は
「他人に大きな迷惑をかける自分」
=(イコール)
「自分は無価値と認識する」
ということだったと。
完璧ではないけど、ずっとずっと良い子でいた。
反抗もせず、世のため人のためにやってきた
つもりだった。
だけど、、
逃げ出したくなるぐらい
最低なカタチで迷惑をかけた。
身内だけじゃなくて、お世話になった人にも。
生きた心地もしなくて、でも死ねなくて
毎日毎日自分を責め続けるしかなくて、
でもそんなことしても意味がない
っていうのも分かってて
それがずっとループし続けてた。
最初は抵抗感しかなくて、
浮上した現実に抗うしかなかった。
けれど、降参した。
手を挙げた。
「わたしは無力なんだ…」
と認めるしかなかった。
もう、最底辺にビタン!と突っ伏した。
ペラペラになった。
それがよかった。
行くとこまで行った時、
本当に上に行くしかなく。
無価値がどうのとか、
そんなこと考えなくなっていた。
這い上がることしか見えず、
ただ目の前のことに真摯に向き合うしかなかった。
小手先では根本的な解決にならない。
もう同じことは繰り返したくない。
肚を括った。
それは以前の記事にも書いた通り、
無知の知を得たからこそ、
ただひたすら目の前にやってきたことを
コツコツと積み上げる。
という作業をするだけだった。
神社に行っても
「この状況をなんとか助けてください」
ではなく、
「精一杯動きますので、
どうぞわたしの体を使ってください」
と、宣言していた。
そこから私の人生はまたひとつ拓け、
後に無価値を抱いた理由を知ることになる。
が、
予想以上に長くなってしまったので、
根源編へと続く。
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